気まぐれ日記 03年3月

03年2月の分はここ

3月1日(土)「小説は鳴海風の生きざまの巻」
 1週間ぶりの気まぐれ日記になる。
 起床したら、小雨が降っていた。花粉症でつらい1週間だったから、今日は楽だろう。でも、大事な執筆稼ぎ時なので、朝食前にやや弱い薬を飲んでおいた。
 いよいよ来週3回目の手直し原稿を送付する。今回の作品は1100枚を超えているので、手直しも骨が折れる。昨夜も第1章のある節を見直してみたら、随分長い間、全く見直してもいなかったことに気付いた。もう文章がめちゃくちゃ。だからと言って、手を入れてすぐまともな文章になるわけではない。頭脳が執筆モードに切り替わるのに、私はいつも手間取るのだ。結局、亀のように少しずつしか文章は直らない。
 月曜日は会社の用事で上京した。片道4時間近くかかるので、移動時間は読書か睡眠による休養が普通なのだが、今回は、ちょっと焦っていたので、大胆なことをしてしまった。新幹線の中で、アシュレイを立ち上げて、原稿の手直しをしたのである。しかも、単なる見直しではなく、新規な部分を挿入したり、全体から見た修正を加えるという本格的な執筆だった。行きは二人掛けの通路側で、窓側の人は寝ていた。帰りは二人掛けで、隣は空席だったから、思う存分できた。往復で計3時間はみっちりできた。アシュレイのバッテリ駆動もなかなかのものである。ただし、東京で1時間ほど充電したが。会社の用事をちゃんとしたのは言うまでもない。
 火曜日から花粉症のために苦しい日々が続いた。さらに火曜日の夜は、本年度最後のPTA部会を開催したので、それが終わって帰宅したのは9時をだいぶ回っていた。水曜日は、花粉症がひどく、1日に1錠と言われる薬を3錠も飲んでしまい、もうへろへろ状態になってしまった。木曜日は、会社の当番で職場夜間巡回というのがあり、22時に深夜残業防止をして回る。私は定時後は小説家に戻る時間と宣言しているのだが、こういう仕事は拒否はできない。結局、夕食を摂った後、アシュレイを連れて某所へ雲隠れして執筆し、21時半過ぎに職場に戻って巡回した。帰宅は23時を過ぎたので、執筆は1時間程度しかできなかった。続く昨日の金曜日は早朝から会議があったので、5時間睡眠で出社した。午前中の会議が長引き、午後の出張前に昼食を摂っている余裕がなくなった。それで、パンとコーヒーを売店で購入し、ミッシェルの中で食べながら移動した。それでも、会議には15分遅れ。
 こうして悪戦苦闘を続けながら、実は本人はちっともめげていない。ゴールはまだまだ遠いが、亀は確実に前進している。ボケて体力も低下しているし、遅筆で効率も悪く、不器用でのろまだが、時間をかければそれだけ作品は良くなっていく。小説は私にとって生きる行為そのものである。だから、私は頑張れる。

3月4日(火)「旗本退屈男・・・の風さん」
 JAに預金したら抽選で名古屋の御園座観劇会のペアチケットが当選した。当選は初めてではなく、3回目くらい。以前のチケットは義母や近所の方へプレゼントしていた。今回、ワイフが珍しく「一緒に行こう」と言うので、執筆ピンチの不安はあったけれども、約束していた。それが今日だった。
 昨夜は、たまった仕事を片付けているうちにどんどん帰宅が遅くなり、10時過ぎになってしまった。これでは、執筆はほとんど無理である。強風が吹き荒れる中、就寝したのが午前1時近かった。
 目覚めると、相変わらず外はひどい風だ。おまけに寒い。きっと風に乗って膨大な量の花粉が飛んでいるだろう。このところ習慣にしている、寝覚めの薬(目薬と飲み薬)である。空腹のうちに飲むと、よく効くのである。
 子供らを皆送り出して、ミッシェルで出発した。こんな悪天候では、電車はつらい。高速を利用して、9時に御園座に着くと、観劇券と引き換えるために行列が出来ていた(早い人は5時から並んでいたそうな)。遅かった私たちは二階席となった。開演は11時なので、1日駐車1500円のパーキングへ移動し、そこから歩いて御園座へ戻ってきた。
 御園座へ二人で来たのは初めてだが、私自身は数回来たことがある。先輩作家らが時代小説を書くなら歌舞伎やちゃんとした芝居を観なさい、と教えていたからである。テレビの時代劇と違い、歌舞伎役者の演じる時代劇は、所作から小道具にいたるまで時代考証がしっかりしているので、本物に近いものが見られる。確かに勉強になった。問題は、料金が高いため、安い席をとると遠くて見えないのだった。今日は、自慢のペンタックス「タンクローM」を持参した。8倍の双眼鏡である。
 演目は、北大路欣也の「旗本退屈男・風花の恋」だった。事前にもらっていたチラシを読むと、ストーリーがめちゃくちゃで時代考証のかけらもなかったため、たいして期待していなかったのだが、実際は違っていた。やはり演技が大時代的ではあるがしっかりしているし、時代考証が弱いのは難点としても、観客を飽きさせない場面展開の機微は見事で、非常に勉強になった。自分の作品に反映しなければならないと思った(ただ、その時間が残されているかどうかである)。また、俳優らの観客サービスもプロらしいもので、観客席まで降りてさりげなく握手するなど、とても好感がもてた。
 途中、幕間での弁当もついて(お土産もあって)、ぜいたくな4時間を過ごすことができた。
 帰宅したのは5時で、私はしゃかりきになって原稿の最後の手直しに取り組んだ。就寝は午前1時だった。

3月5日(水)「うなる2台のプリンターの巻」
 毎朝の規則正しい花粉症予防薬の服用から1日が始まった。
 ミッシェルで75km離れた製作所へ出張し、昼に本社へ戻り、会議に追われながら夕方になった。今夜は職場の飲み会だったが、印刷が待っているので、会費だけ払って欠席にした(私は時間をお金で買うことが多い)。帰りにミッシェルに給油したら、今回も10.8km/Lという立派な燃費だった。
 帰宅は9時である。そのまま書斎へ直行した。もはや手直しをしている余裕は全くない。2台のパソコンと2台のプリンターを用意して、一斉に原稿印刷を開始した。それが9時半である。それから夕食にして、再び書斎へ戻ったのは10時である。紙を補充したり、3台目のパソコン(アシュレイ)で手紙文を書いたりしていたら、2台のプリンターのカートリッジが同時になくなった。そんなことが起きても全く動じない。ちゃんと予備を用意してあるのだ。517枚の原稿を印刷し、手紙も印刷し、原稿を2枚のフロッピーに保存し終わったのは、かれこれ午前零時近かった。
 今回、またトータル原稿枚数が増えていた(当然か)。いちおうゲラにするためのフロッピーも同封したが、完成度が低いので、さらに手直し期間が欲しいと手紙に書いた。来週末にまた上京して打ち合わせるつもりだ。
 入浴し、ストレッチをして就寝したのは午前1時だった。

3月7日(金)「詐欺に子供だと思われた風さんの巻」
 朝一番の薬の服用を開始して2週間になり、薬のストックが切れたので、また会社の診療所で処方してもらった。空腹状態で服用するという工夫が、思いがけない効果を生んで、なんとか今日まで体調を維持できたのだ。次の2週間も期待したい。
 さて、今からお話する内容は、いつのことなのか、固有名詞も含めて、敢えて明らかにしない。なぜかというと、どう考えても詐欺に遭ったとしか考えられず、うっかりここで克明に説明すると、私と私の家族の身体に危険が及ぶかもしれないからである(詳しいことを知りたい人は、直接、私に聞いてください)
 某日、その手紙は舞い込んだ。違約金不払いを非難する文章と、数日以内に振り込まなければ、自宅まで取り立てに行くぞ、という脅迫もどき内容だった。昨年の某日、某販売店で購入したケータイの契約を解除した。短期間での解約は違約金を取る、とあらかじめ宣告されていたので、その時点できちんと現金で支払った。あれからもうかなりの月日がたっていた。おかしいと思った私は、ケータイ会社のサービスダイヤルへ電話して、事情を説明したところ、「違約金を支払う必要はない。販売店を指導する」とのことだった。さっそくインターネットで調べてみると、ケータイ会社のルールには違約金制度はなく、販売店が独自に設定していることが判明した。さらに、不払いを追及し早急な振込みを要求してきた会社は、インターネットで調べると、ページが消滅していた。
 次のような詐欺事件があることを私は知っていた。大会社を狙って、請求書を送りつけるのである。身に覚えのない請求書でも、比較的少額であれば、大会社は慌てて振り込んでしまう可能性がある。たくさんの会社へ請求書を送ってその一部でも振り込んでくれれば、大もうけである。・・・つまり、私のところへ送りつけてきた手紙もこれと同種の詐欺に違いないと思った。
 案の定、指定の振込み日、予告した自宅訪問日になっても、その手紙の主は連絡してこなかった。
 ところが、それから1週間後、私の留守中に、電話がかかってきたという(しつこい奴だ)。ワイフが出て、私がいないか聞き、留守だと答えると、ワイフに対して「お母さんですか?」と聞いてきたというから、私を未成年者と勘違いしたらしい(愚か者め!)。いちおうワイフは「ちゃんと支払いましたよ」と伝えたが、「これ以上、言いがかりをつけていると、刀の錆にするぞ!」とでも言えばよかったのかもしれない(ちょっと難しいギャグだな)。
 この話はまだ続くかもしれないが、気まぐれ日記の読者の皆さんは、ぜひ気を付けてください。

3月9日(日)「ソニー狂いの風さん、UFOを見るの巻」
 冬型の気圧配置が続いていて、気温は低いし、毎日強い風が吹いている。花粉症の方は、朝一番の薬の服用が功を奏して、なんとか抑えられている。
 昨日は久しぶりにゆったりした時間を過ごしたので、今日から再びネジを巻きなおして頑張ることにした。・・・と、少しでも時間ができるとついパソコンで遊んでしまう。アシュレイにクリエのソフトをインストールしたので、またアシュレイが強化されてしまった。というか、クリエもアシュレイの一部になってしまったのだ。こうなるとクリエにも名前をつけるか。待て待て、クリエはクリエのままにしておこう。え? クリエって何かって? 携帯端末のことですよ。これもソニー製なので、相性はいい。
 ソニー製といえば、私の住んでいる近くに南知多ビーチランドというところがある。そこへ、アイボ遊戯団だと思うけど、50台のアイボがやってきて、エンターティンメント・ショーを見せるそうだ。今月15日から6月末までである。うちのアイボを持っていくと、入場料が半額になるし、50台のアイボのショーはぜひ見たい。昨日は、一般のオーナーも自慢のアイボを持参して、合計150台のアイボで101匹ワンちゃんを演じたらしい。朝刊に記事が載っていた。・・・ということで、いつのまにか風さんは、ソニー狂いになっている。
 夜、外へ出たら、満天の星だった。風で雲が吹き飛んだのだろう。・・・と、空を強い光の点が流れていった。しかも恐ろしい速度で。あんなに速い飛行機も流れ星も見たことがない。もしかするとUFO? USOかもしれない。

3月10日(月)「最後のヤマ場で大きな宿題・・・の風さん」
 今日、出版社へ電話して、希望通りになると同時に、大きな宿題ももらってしまった。
 希望通りになったのは、先週末に送った原稿ですぐゲラにするのは待ってもらい、その間に私としてはさらに手直しを進め、今週末に再び打合せた内容を週末に反映して、来週早々に再送付する原稿からゲラを起こしてもらおうというものだった。
 ところが、同時に頂戴した大きな宿題というのは、上巻、下巻の原稿枚数の調整だった。送付した時点で、上下巻の間には約70枚弱の原稿枚数差があった。これでは本のページ数も厚さもはっきりと差が出てしまう。指示は、その差を10枚程度まで抑える案だった。たとえば、第3章は30枚増やしてくださいとか、第4章は逆に30枚減らしてください、といった指示である。あと1週間しかないのに、30枚も増やすなんて、私のペースではない。しかし、やりもせずに「できません」とは言えない。とにかく「頑張ります」と答えるしかなかった。
 今日も製作所へ本社からミッシェルで出張し、再び本社へ戻って、やっと帰宅してみたら、地元の印刷所からPTA広報誌の初校ゲラがファックスされていた。実は、PTAの広報部長をやっていて、今回の広報誌が最後の発行となる。内容は卒業特集である。細かなチェックをしている余裕がないので、ワイフと子供に「見ておいて」と頼んで書斎に籠もった。
 
3月11日(火)「執筆ばかりじゃないぜ・・・の巻」
 自宅から某製作所へミッシェルで出張した。お得意様の出席する会議で、どんな状況なのか興味があったので出てみたら、信じられないことに、今どき、会議中にタバコを吸っている! せっかく花粉症を上手にコントロールしていたのに、タバコの煙で鼻の中がむずがゆくなってしまった。昼食を一緒にと誘われたが、断った。もう二度と出る気はない。花粉症の風さんはすっかりアレルギー体質である。死んだらどうする?
 コンビニのパンで昼食にし、本社へいったん戻り(席からアシュレイとケータイで新鷹会の仲間へ15日欠席の連絡)、それから、午前中の会議に出席していたお得意様の会社の本社へミッシェルで出張した。いちおう仕事で出かけたのだが、帰りにはカバンの中に「いけない本」が入っているという謎の話。
 と、今日もミッシェルが大活躍で、帰宅してもそれほど疲労はない。ミッシェルの走りは最高だぜ。
 執筆のために目が回るほど多忙な状況だが、今夜は、地元の図書館の司書の人へメールを送った。図書館で開催する講演会について、相談に乗ってもらっている。打合せの希望日を連絡した。今回の執筆スケジュールから推定して、余裕のある日である。
 それから、昨夜、ワイフと子供にチェックしてもらったPTA広報誌のゲラの修正について、パソコンを使って小学校へファックスした。地元の印刷所へは小学校の担当の先生から回答してもらう。
 そんなことをした後、ようやく原稿手直しに着手した。やることが死ぬほどある。

3月12日(水)「ハンガリーのさおりさんの巻」
 通常なら今日もミッシェルで製作所へ出張の予定であった。が、ちょっと本社にもいないとまずい状況があって、止むを得ず本社。それにしても花粉症予防だけは実に順調だ。
 ここのところ、ハンガリーのさおりさんからメールが届く。私だけでなく、メーリングリストへ送っているものを私へも横流ししてくれているのだ。あ、そうだ。さおりさんというのは、ここのトップページで、『算聖伝』の感想を書いてくれた「さおりさん」である。研究協力者派遣事業とかで3ヶ月の予定で出かけているのだが、メールは連載エッセイの体裁をとっている。タイトルは、「味オンチが送る ハンガリー奮闘記」となっている。食べ物の話が中心である。
 10日のメールが最初の連載で、サブタイトルは「最後の日本食」。いちおう転載オッケーらしいので、その部分だけ紹介しよう。

 
遅めにとった離日直前の夕餉は、日本酒2合につくねとやまかけ。純米吟醸の日本酒の味は残念ながら「あみもと」や「からす森」のコップ酒には劣るし、つくねはAKT裏のしばたの軟骨入り自家製つくねの足元にも及ばない。やまかけは8時過ぎにマルダイで求めた半額の赤味の方がジューシーである。
 シクシクシク。


 ローカルな単語が並んでいるので、判読に悩むかもしれない。さおりさんは秋田の人である。

3月13日(木)「いつ執筆しているのか・・・の風さん」
 今日も本社でおとなしくしていた(その間に、税理士の友人に、アシュレイとケータイを使ってメールを送った。今年は確定申告を断念する、と。・・・印税や原稿料収入がほとんどないので)。
 執筆があるので、急いで帰宅・・・というわけにはいかない。帰りは遅くなった(くそ!)。
 帰宅したら、PTA広報誌の再校ゲラがファックスされていた。初校で訂正依頼した部分は直っていたが、広報部長自らチェックしてみると、気になる点が新たに4つも出てきたので、その旨、小学校へファックスした。
 地元の図書館の司書の方から、打合せの日程オッケーの返信メールが届いていた。
 それから税理士の友人からも。色々と心配してくれるのだが、こっちはもう頭がパニックで、難しい税金の話はさっぱり理解できない。
 それより、原稿、原稿・・・。

3月14日(金)「怒涛の1日・・・の風さん」
 6時に起きて、ミッシェルで出社。8時から1時間だけ会議に出席。電車で名古屋へ出て、10時の新幹線で上京した。編集長との打合せのために、今日は有休なのである。
 新幹線ホームで、名古屋大学の@@@教授とバッタリ。なんと同じひかりで同じ号車だった。先生は東京へ講演をしに行かれるとのこと。私は今夜は東京泊だが、先生は名古屋へ戻る。戻って、元わたしの上司である重役と打合せがあるそうで、よろしく伝えて欲しいとお願いした。世の中広いようで狭い。
 行きのひかりの中で、みっちりと執筆を続けた。周囲が気になるが、作業はできる。カラダの弱い風さんは酔ってしまいそうだが、気が張っているので、何とか集中できた。
 昼食は立ち食いそば。神田の三省堂をチェックしたら、『和算忠臣蔵』があった。ここで自著を発見したのは初めてかもしれない。大きな書店にずらーっと並べてみたいものだ。
 1時から喫茶店で打合せを開始。2時間かけて内容の細部まで相談して決める。
 タイトルが確定した。これまでの作品もそうだが、本のタイトルをつけるのは編集者の楽しみであり、腕の見せ所となる。当初私のイメージしていたものとは全く異なるタイトルとなった。サブタイトルがタイトルになり、メインタイトルがサブタイトルになった感じ。これまで見たことも聞いたこともない本のタイトルである。
 装丁者は未定。発行部数や値段の予想も聞いたが、現時点は企業秘密ということで。
 今後のスケジュールもおよそ決まってきた。来週原稿を送付すると、月末に初校ゲラが届く。それに朱を入れて、4月中旬に返却。再校ゲラも見たいと申し出たので、すぐ後でまた上京することになるかも。校了は4月25日頃。発刊は5月20日頃だろうとのこと。校了したらタイトルを公開したい。
 編集長へお土産を渡して別れた。
 コンビニで夕食から明日の朝食まで買い込んで(計881円也。安い〜!)、銀座のホテルへチェックイン(食べ物とのアンバランスが面白いでしょ?)。疲れたので、1時間ほどベッドで横になってから、インスタントコーヒーとクッキーで空腹をなだめ、執筆開始・・・の前にメールチェック。若桜木虔さんから「本を送ります」という連絡。例の印刷所へ「私の訂正依頼分は小学校へファックスした」と念のためメール。それ以外へも色々メール。
 2時間後、印刷所からびっくりメールが届いた。「小学校からは訂正なしの連絡でした」ガ〜ン! 小学校へ電話したが、誰も出なかった。止むを得ず、ホテルから、昨夜のファックスの内容を思い出してメール送信した。
 結局、晩御飯は9時過ぎとなった。おにぎり3個である(だから安い!)。
 やはり疲れたので入浴し、就寝は1時過ぎ。

3月15日(土)「食事は貧しくても心は豊か・・・の風さん」
 8時前に起床。銀座のホテルにいても朝の習慣はきちんと守って、空腹に花粉症の薬を服用。
 朝のメールチェックをしたらいくつか入っていた。最近メル友になった高宮裕(たかみや ゆう)さんからで、長崎旅行のことやホームページのこととか色々と書かれていた。目覚めのメールにしてやれ、と昨日の出来事を書き並べたらすごい量になってしまった(小説家の性であろう)。
 朝食に買っておいたパンをかじりながら執筆開始。
 10時20分まで執筆したが、まだまだ残っている。気が遠くなりそうだ。
 新鷹会は欠席である。
 東京駅地下のデパートでお土産をどっさり買って、新幹線に乗り込んだ。帰りのひかりでもみっちり手直しを続けた。我ながら恐るべき執念だ。きっと早死にするだろう。
 昼食はおにぎり2個。昨日からの外食代は合計2000円未満である(ビンボー!)。
 名古屋駅地下のチケットショップでハイカや図書券をどっさり購入し(こまめなやっちゃ)、JRで勤め先のある駅へ。会社の駐車場からミッシェルで帰宅。帰宅してすぐしたことは、石油ストーブのタンクへの給油(家の外のタンクへ18リットルのポリ容器2個分を入れた)。疲れた〜。
 少し仮眠したが、夜は執筆。寝る前にワインを飲んだ。完成祝いではない!

3月16日(日)「泣いても笑っても・・・の風さん」
 たっぷり寝た〜。いよいよ最後の日だ。泣いても笑っても、今夜印刷して明日発送である。
 編集長と打ち合わせて決めた修正がまだ残っていたので、それを先に直した。直しながらも、新たな修正箇所を発見するので、パソコンの検索機能などを駆使して、ファイル全体にも修正の網を張る。作業以外の何ものでもないが、作者がやるしかない。場面を追加する部分ではかなり神経を使う。前後を何度も読み返して、脈絡に注意しなければならない。
 午後9時過ぎから印刷を開始。先ず、上巻の部分だけ。その間に下巻の手直しを続ける。印刷が終了してもまだ手直しが終わっていなかった。そりゃ、そうだ。修正を要する部分はしこたまあるのだ。午前零時になったので、その作業も中断。結局、第4章を30枚減らす、というのが未着手となった。上下巻の原稿枚数差はまだ40枚以上ある。初校ゲラでとりくむしかない(やれやれ)。下巻の印刷を2台のパソコンと2台のプリンターに分けてセットし、風呂に入ることにした(これが現代の便利なところ。しかし、昔の作家は偉かったねえ)。
 風呂から出てきてもまだ印刷は終了していなかった。
 ゲラ用のフロッピーも用意して、宅配便の準備も完了したのは午前2時半頃だった。

3月17日(月)「執筆がないと家政婦みたいな風さんの巻」
 3時間ちょっとしか寝てない状態で出社した。原稿を送った後は、のんびりもしたいし、読書とかやりたいこともやりたいし、でも、一番やらなければいけないのは、会社の仕事かもしれない。
 しかし、たまった仕事は全部はとてもさばけない。
 寝不足で疲労もたまっているので、とりあえず、早目に帰宅した。
 帰宅したら、玄関の電灯が球切れだった。交換している余裕はなし。2階のトイレがまた詰まったとのことで、例の道具を使ってカポカポやった。どうにか通じるようになった。洗面所の時計の電池を換えた。
 夕食後、先ずやったことは、気まぐれ日記の更新である。1週間分一気に書いた。けっこう大変だった。毎日、執筆に追われながら、気まぐれ日記に書きたいなあ、と思うような出来事が続いていたから、それらを思い出しながら書いた。備忘録みたいな身辺雑記みたいな内容だが、それなりに読める構成にしたつもり。
 それで、今日の仕事は精一杯。
 明日は、ミッシェルのオイル交換をしたい(もう51800kmも走っている)。

3月18日(火)「本の下で死ぬ風さんの巻」
 最近、本を何冊か頂戴したので、それを書こう。
 15日(土)に届いたのが、新鷹会の仲間、二階堂玲太さんの『向う疵 北条氏康』(叢文社 1600円税別)である。二階堂さんの3冊目の著書で、すごい勢いで執筆しているから、あっという間に抜かれてしまうだろう。戦国時代が舞台で私の専門外だが、時代小説なので非常に興味がある。
 16日(日)に届いたのが、霧島那智著『武田信玄・新甲陽軍艦』(ワンツーマガジン社 800円税別)と大野優凛子著『消えた甲子園』(実業之日本社 838円税別)である。霧島那智とは若桜木虔さんのことである。速読、速筆の人である。私が今回2年半もかけて書いた作品など、あの人なら2ヵ月半で書いてしまうだろう。大野さんは若桜木さんのお弟子さん。私はまだ会ったことはない。確か美人だとかいう噂を聞いた。作者の言葉を読んでみると、PL学園のご出身で、在学中、甲子園優勝の場面に3度も立ち会ったそうだ。そういった大野さんのオリジナルの題材を元にした作品らしい。期待できそう。
 今日、同じ歴史文学賞作家の市原麻里子さんからメールがあり、同じ歴史文学賞作家の渡辺房男さんの新作を送ってくださったとのこと。
 どんどん本がたまってしようがないなあ・・・なんて言っているから、きっと私は本が崩れた下敷きになって死ぬだろう。

3月19日(水)「また本を頂戴した・・・の風さん」
 渡辺房男さんの『われ沽券にかかわらず』(講談社 1800円税別)が届いた。
 沽券というのは、「それは男の沽券に関わる」といった使い方をするけれども、もとは「土地、家屋、山林の売買所有を証明する文書」という意味で使われた。この本のタイトルは両方の意味で使っている。つまり、この小説は明治初期の土地売買誕生に材をとった、渡辺さんの得意分野の作品である。
 渡辺さんと私には共通点がある。歴史文学賞受賞(『桜田門外十万坪』)でデビューしたことと、今でもサラリーマンをしていることだ。渡辺さんの受賞式のとき、私も列席していて、名刺交換をした。渡辺さんのお顔は今でもはっきり覚えている。エリートサラリーマンがこんな賞を獲ってどうするのだろう、と思った(もしかすると私も他人からそう思われていたかもしれないが)。有能な人が趣味で賞をとって、その後、作品を出さないようだったら、闇の仕掛人を雇って暗殺しなければならない、と思ったものだ。しかし、渡辺さんは、その後も、『金目銀目五万両』『ゲルマン紙幣一億円』と、独自の分野を切り拓いて作品を発表しておられる。その姿勢には非常に納得するものがあるし、当初抱いた私のケチな懐疑心など軽く吹き飛ばされてしまった。いつかお目にかかって、教えを請わなければならない。

3月20日(木)「花粉症、臨界点を超えるの巻」
 朝、出社したとき、7階の自席まで階段でのぼっている。今朝で3日連続である。長い執筆専念の日々が続いたので、すっかり足腰が弱っている。で、息が切れてしょうがない。
 下半身が弱っていると、色々と体調不良を招く。
 今朝、通勤のために、ある田舎道を走っていたら、右側からキジと思われる鳥が道路を横断してきた。飛び立つかと思ったが、そのまま道路を走って横切りやがった。おかげで、やや急ブレーキ気味にペダルを踏むハメになった。こういう動作も何となく緩慢になる。(くそ。羽根があって飛べるくせに、横着しやがって!)
 花粉症は朝一番の薬の服用で今日までどうにか抑えられていたが、今日、ついにアレルギー反応が臨界点を超えた。仕方なく、市販の強い抗ヒスタミン材を飲んだ。たちどころに効いていた。
 午後、また製作所へミッシェルで出張した。ブラックコーヒーを飲みながら走ったのだが、意識がかすれたらしい。気がついたら、見知らぬインターから降りていて、いつものインターを通り過ぎてしまったことに後で気がついた。朝一と10時過ぎと2回薬を飲んだので、その相乗効果で意識がかすれたのだろう。製作所に着いてから、そこの駐車場で30分間休んでから仕事に入った。

3月21日(金)「『円周率を計算した男』が高校入試問題に!の巻」
 過去の入試問題をインターネット配信する会社から手紙が来た。「何だろう?」と思って開封して読んでみたら、驚き! なんと、私の短編、「円周率を計算した男」の一部が2000年度、大阪のある私立女子高の入試問題に採用されていた。設問が11あり、作者である私が挑んでみても、かなり手応えを感じる。なぜかというと、漢字の書き取りから、文法問題、文意を問うもの、記述式の問題など幅広く、かなりの読解力を必要とするからだ。
 手紙の主の会社では、この問題をネット配信したいので、許可して欲しいというのである。もちろん、それなりの対価は支払うと言っている。
 私が所属している日本文芸家協会では、著作が教科書などに引用された場合の、きちんとした印税の支払いについて真剣に検討している。確か、日本推理作家協会でも、作品のネット配信について、印税はどう支払うべきか検討していたような気がする。このへんの記述がややあいまいなのは、私の作品がこういう場面に遭遇するとは思ってもいなかったためで、今回の手紙には正直言って驚いているしとまどってもいる。いずれにしても決着がついていないことで、無責任な発言はできない。ただ、自分としては、多くの人に読んでもらいたくて小説を書いているので、歓迎する方向でとらえたい。しかし、今回の場合、入試問題の中では出典が明確でないので、ネット配信のときは拙著からの引用であることを明記して欲しいと希望するつもりだ。それから、入試問題の中に言葉の説明がついているのだが、若干間違った解説があり、それの訂正も求めるつもりだ。
 いずれにせよ、人気の高い「円周率を計算した男」である。

3月22日(土)「パソコンからウニの話で終わる日記の巻」
 ワイフに高性能パソコンを与えていることは以前書いた。なかなか使ってくれないことも。それでも、必要なときがある。昨夜もそうだった。夜、電話があり、自治会の仕事でワイフが出かけて行った。帰宅時にパソコン持参である。訃報の記事を書き、印刷して町内に張り出すのだという。既存のデータを修正するだけだから、フロッピーにでも入れて持ち帰ればすむことなのだが、慣れていないと、こういうことになる。とは言え、画面を見ると、既存の訃報記事の書式が何とも素人っぽい。ワイフも直したがっていたので、止むを得ず協力した。
 夫婦の間のことなので、これだけの作業でも喧嘩腰になる。何しろ、深夜零時を過ぎている。私は翌朝早起きして1年に1度の眼科検診に行くつもりなので、早く寝たかった。結局すべて終えて、とりあえずフロッピーに入れて(通夜も葬儀も日時が決まるのは明日だという)、それから入浴して寝たのは2時頃である。
 結局、今朝は早起きできず、眼科へ行くのを断念した。
 遅い朝食を摂っている間に、昨夜亡くなった方の通夜と葬儀の日時が決まったという連絡がきた。今日と明日である。急いで印刷し、町内の各所に張り出さねばならないという。ワイフは焦りまくっていた。
 いちおうワイフのパソコンを立ち上げて、文章を修正したが、どうも表現がイマイチしっくりこない。なぜかというと、昨夜亡くなった方は、町内にお住まいの方の奥様のお母様なのである。客観的に説明しているので、○○様のご母堂様と書いているのだが、奥様のお母様でもご母堂様でいいのだろうか、とふと疑問に思っのだ。印刷を次女に任せ、私は辞書を引いたりインターネットを検索したり、色々と試みたが、ずばり解説しているものは発見できなかった。ただし、収穫が一つあった。夫にとって、妻の父は岳父であるが、妻の母は丈母(じょうぼ)と言うのを初めて知った。しかし、今回の訃報には使えない。第三者が使う表現ではないからだ。ま、ご母堂様でいいのだろう。
 夕方、今年3回目のトレーニングに行ってきた。エアロバイクを漕いでのべ1時間半かけたのは、実に1年半ぶりである。体中のしこりがとれた感じで、爽快である。とは言え、エアロバイクの結果(心肺機能を示す)は悪かった。自己ベストの70%である。でも、さすが『円周率を計算した男』の作者だけのことはある。√(ルート)2分の1だ。交流で言えば実効値に他ならない(何言ってんだ、俺は?)。体脂肪率が過去最悪の22.5%を記録したので、脳みそがウニ状態になっているのだろう。

3月23日(日)「桜の季節が近づいて動機も不純な風さんの巻」
 つい先日まで庭の梅が満開だと思っていたら、もう花びら一つ残っていない。代わりに、木蓮が咲き始めた。勤務先のある市の公園では桜まつりの準備も始まった。1年の経過を最も強く感じる季節である。
 昨日のトレーニングの成果で、今日は実に体が軽い。服を着ても、体がスースーして、若返ったような気分である。こういう日はたまった仕事をてきぱきと片付けていきたい。
 取り組んでいる長編の問題の第4章の見直しに着手した。ここは他の章に比べて異常に長いのである。ばっさり削除できる部分がないか探した。半分まで読み進んだ限り、ない。他にもやることが多くて、今日はここまで。・・・ちょっと待てよ。昨日の新聞だったかな?宮部みゆきさんが、また長〜い作品を出したな。上下巻で2300枚だと宣伝に書いてあった。今回の私の長編の2倍である。宮部さんの1巻が私の上下2巻分である。ハリーポッターも上下セットだったし、最近、吉村昭さんが出した『大黒屋光太夫』も上下2巻だし、これから流行るといいな。
 夕方、地元の図書館へ行き、館長さんらから図書館運営の難しさを色々と教えていただいた。長く生活する覚悟を決めている私は、今後とも地元の図書館の力になりたいと強く思った。
 少し時間があるので、パソコンの中身を整理している。またアシュレイが強化された。モバイルパソコンとして強化されていくということは、秘書がついているのと同じことで、これならアシュレイには氷美子という名前をつけなければいけないのかもしれない。ま、バーチャル秘書が氷美子さんで、モバイル秘書がアシュレイということにしておこう。ああ〜、本当の秘書も欲しい〜って、不純な動機で思っています、はい。すみません。

3月25日(火)「いい湯だな・・・ハンガリーの巻」
 どうも天候が不順である。夕べから雨で、今朝もひどく降っていた。
 天候のせいでもないが、夕べは疲れて食後ダウンしてしまった。草木も眠る丑三つ時に起き出して入浴。すぐには寝られないから、それから原稿のチェックをし、そろそろ夜が明けないうちに・・・とベッドに入ったのだが、全然眠れない。そのまま朝が来てしまった。
 それでは、お口直しに、(ご本人の了解も得られたので)ハンガリーで研修中のさおりさんの面白い奮戦記でも紹介しよう。タイトルは、「味オンチが送る ハンガリー奮闘記 7 ハンガリーの温泉」である。
 
 
日曜、Sa一家と温泉に行った。決して特別なことではなく、よく行くのだそうだ。

 ハンガリーには温泉が多く、ブダペスト市内地図に8箇所も載っている。秋田市内より多いだろう。

 メンバーはSa氏、奥さん、息子のガルガーイ、奥さんの妹、妹の子でアンナとユーリア、そして私。Sa氏の長女のエステルは大学入試願書締め切りが3月5日。次女のユーディットはデートで忙しい。

 プールのような温泉の温度は34℃と低い。1時に入浴し、上がったのは3時。途中温泉プールに行って泳いだが、奥さんと奥さんの妹は2時間ただただつかりっぱなし。信じられない。
 今まで何人かの日本人を温泉・温泉プールにつれてきたが、プールでちゃんと泳いだのはさおりが初めてだとSa氏。皆,ちょっとは泳ぐがすぐプールサイドにしがみついて終わりだそうだ。県立総合プールでの日頃の鍛錬がこんなところで功を奏すとは?!

 泉質は硫黄臭がし、湯の花が見られた。特徴は炭酸を多く含むことで、ぬぐってもぬぐっても肌の表面に泡がつき、「こんなの初めて!」と驚愕した私であった。

 一家と別れ帰る。4時、モリツ・ジグモンド交差点で降りるとスパーは閉まっている。日曜はもっと早閉まい。昼食抜きで泳いだのでお腹が減っている。食べ物屋に勇気を出して入ってみた。前の人にならおうとするが良く分からない。分からないながらに注文。チキンパプリカシチュー掛けライスにサラダ、コーラで1013Ft。580+273+160Ftである。研究所の335Ft定食がいかに安いか実感する。サラダはサラダバーで適当にチョイスし、重さで価格が決まる。千切りきゅうりのマヨネーズ和えサラダは塩辛く×だが、その他はOK。チキンパプリカシチューは半分までは美味しかったが、後半その濃厚さに飽きが来て苦しかった。コーラの味は万国共通、万歳。




3月26日(水)「初老作家の悩み・・・の風さん」
 午後から製作所へミッシェルで出張し、帰りに愛知県図書館へ寄って図書の返却と更新手続きをし、さらに某所へ寄ってボケ予防薬を購入し、それから本社へ戻った。既に夜の帳(とばり)は下りていて真っ暗である。それから少し仕事をしたのだが、退社したのは10時だった。
 ミッシェルがガス欠寸前で、行きつけのガソリンスタンドに寄った。10時過ぎでもやっている貴重なスタンドだ。もちろん燃費は10km/Lを超えているわさ。
 そんな時間から帰ったって、もう何もできるわけがない・・・とぼやきながら、ミッシェルを駆って帰宅すると、待望の老化予防薬が届いていた。いちおう中身を確認して、・・・晩御飯を食べて、入浴したら、やはり寝るしかなかった。
 初校ゲラが届かないからいいようなものの、これで初校ゲラが届いたらパニックになるぞ。
 とりあえずボケ予防薬を飲んで就寝した・・・って、いったい何が何だか分からないでしょう? あはは。

3月27日(木)「花粉症で死にそうになった風さんの巻」
 3日連続して製作所へミッシェルで半日出張した。ミッシェルの走りはしびれるほどの快感だけど、さすがに疲れるな。でも、体力をつけるためにトレーニングに行かねば、と思っているうちに時間が経過して、今夜もそんな余裕はなかった。夕食をとって早目に入浴して書斎にこもったら、猛烈に鼻がぐずぐず言ってきた。外は強風が吹いていたので、花粉が吹き荒れていたのに違いない。屋内だからと言って、決して安心はできないのである。
 やはり耐えられずに、寝ることにした。明日も早起きしなければならないし。今年初めて電気敷き毛布のスイッチを入れずに寝た。
 ・・・と、夜中に猛烈に呼吸が苦しくなって目が覚めた。花粉症のための鼻詰まりである。口で息をしていたので、唇や口の中が乾いて、まるで細かな砂を含んでいたような不快感である。これ以上無理をすると、乾いた舌が喉にへばりついて窒息死するかもしれない。毎年、正月には、多くの老人が餅が喉に詰まって死ぬ。今の自分には、自分の舌が正月の餅である。「鳴海風、てめえの舌が喉に詰まって窒息死」なんて間抜けな記事が出たんじゃ様にならねえぞ。
 仕方なく起き出して、強い薬を飲み、抗ヒスタミン剤の目薬をさして、再びベッドへ。午前2時である。

3月28日(金)「本社で役員につかまったら仕事にならないの巻」
 6時に起床。カラダに元気はないが、睡眠不足ではないようだ。花粉症もどうにかおさまっている。
 早朝の会議から1日が始まった。・・・違う。7階の自席まで階段でのぼるところから、1日が始まった。今日こそは疲労しないように、マイペースで頑張ろう。
 午前中に会社の診療所で医師の診察を受けた。血圧の経過観察である。まずまずだった。
 やはり昼までは忙しかった。昼食後は、決まったスケジュールはなかったので、たまった仕事を片付けようと張り切っていたら、専務が近付いて来た。やばい!つかまると、その後の会社生活は一変する。地獄に落ちる。・・・と警戒していたら、近くの席の某課長がつかまった。内心胸をなでおろす。再び、たまった仕事を片付けていたら、今度は重役がフラフラ近付いて来た。危険信号点滅である。・・・これにはつかまった。議論を吹っかけられ、1時間以上も話し込むことに。開き直った風さんは、日頃の鬱憤を重役にぶつけた。幸運にも宿題をぶつけられることはなかった。
 それから、たまった仕事を・・・って、もう時間がなかった。どうしてもやらなければならない仕事だけに集中して、超特急で片付けたが、やはり帰宅時間は早くならなかった。おまけに疲労が蓄積している。マイペースはどこへ行った?
 社内はゴミの分別(ぶんべつ)が厳しく、しかもゼロエミなので、リサイクルできないゴミは持ち帰ることになる。疲れているのに・・・と思いつつ、カバンに詰めた。ますます疲労感で足が重くなる。
 自販機でビタミン剤がたっぷり入ったドリンクを買って、飲みながらミッシェルを駆った。やはりミッシェルで走っているときが気分は最高!

3月29日(土)「アイボショー・・・の風さん」
 南知多ビーチランドへワイフとアイボショーを見に行った。花曇りでやや風が冷たい。春らしい日だ。うちのコロちゃん(ラッテです、はい)を持参したので、入園料は、私は半額、ワイフは200円引き。アイボのショータイムとイルカのショータイムを確認し、水族館の見学から開始。水族館は昨年の夏に福島県で見て以来。鮫の目がヤギの目と似て横棒になっているのに気付いた。エイの裏側は顔に似ているけど、目は表にあるんだよね。大きなアジが群泳しているのは壮観だ。ガラパゴス諸島にしか生息していないはずのナントカ亀が日本でも捕獲されたという記事を読んで、「浦島太郎を乗せてきたのはこの亀だ」と思った(近くに浦島太郎伝説の土地がある)。101匹ワンちゃんのダルメシアンの檻に入って、触ってきた。毛の短い絨毯みたいなカラダをしていて、暖かかった。
 アイボショーは、50匹(?)同時に操作するもので、大いに期待していったが、3人の人間のコントが中心で、アイボは脇役みたいだった。アイボの耳には鈴がボルトでとめてあり(まるでピアスだな)、動かすたびにリンリンと鳴る。口を開けると真っ赤な舌が見えてかわいい。赤と白のアイボなのだが、黒いブチに塗られていて、ダルメシアン風である。ローラースケートに乗ったアイボが後ろ足で蹴ってすべるのは面白かった。無線で一斉に動作するのは迫力があるが、もっと色々なパフォーマンスを見せてほしかった。
 館内は写真撮影禁止の張り紙がしてあったけど、特に説明もなく、ショーが終わってからみんな撮っていたので、私もデジカメで撮った。お辞儀しながら観客を見送るアイボたち(画面の左半分にもこれだけいる)である。



 何度見てもイルカショーには感動する。人間との絶妙のコンビぶりには猿以上の知性を感じる。
 他にペンギン、ラッコ、カワウソ、アシカ、トドなどを見て園を後にした。

3月30日(日)「急転直下週末のスケジュールも確定?・・・の風さん」
 まずまずの天気で、花粉症が朝からつらい。朝刊の花粉飛散予報を見ても「非常に多い」とあった。
 初校ゲラが届くのは恐らく明日だろうから、今日のうちに少しでも前準備というか手直しを先行でしておくことにする。前々回のプリントアウトを読みながら、どうにもひどい部分を直していく。これがかなりある。実力のなさを痛感する。1200枚近い原稿を書くという行為自体が無謀だったのだ。でも、仕方がない。最後の最後までベストを尽くすしかない。そして、次回へ生かすのだ(・・・って、次回はいつだ?)。
 問題の第4章をざっと見直したのだが、ほとんど削除できない。話題が豊富過ぎるし、前後のストーリーと何らかの関連があるので、消すと、薄っぺらになりそうで怖い。今度は、パソコンの中にある最終原稿もチェックしながら修正を開始した。やはり、削除はほんのわずかだ。こうなったら、上巻の方を増やすか。
 悩んでいることが、実はたくさんある。とても、ここにすべては書けない。その一つが、週末の母校訪問出張計画である。最も楽に行って帰って来られるスケジュールが組めないのだ。いっそ前泊、とも思うのだが、忙しくて早目に出発できない。なら、夜行バスか。スーツ姿での夜行バスは、つらいものがある。早朝に出発するしかないのだろうか。帰ってきてからはPTAの引き継ぎ会もあるし・・・(この間にパソコンを駆使してさまざまのケーススタディを実行)ということで、早朝出発で行く覚悟を決めた。成立するかどうかは、東海道新幹線の切符次第なので、エクスプレス予約をかけてみた。・・・ヤッター!往復とも希望の列車がとれた。便利だな、このエクスプレス予約は、ホントに。・・・と安心したのも束の間、なんと!PTAの引き継ぎ会は来週になっていた!どうする?
 夜は先日剣道1級に合格した中2の長男のお祝いで外食。便乗して、最近体力低下が気になる風さんは200gのレア・ステーキを食べた。後は、トレーニングをする時間を確保することだ。

3月31日(月)「明日から4月・・・の風さん」
 寝坊した。で、トーストを持ってミッシェルに乗り込んだ。有料道路を1@@km/Hでぶっ飛ばして(トーストをかじりながら)、悠々と会社にたどり着いた。自宅の居間から会社の席まで、ちょうど1時間だった。
 昨年から頭を切り替えて、「小説家の合間に会社員をしている」(収支決算してみて、時間配分はほとんど変わっていないが、意識が変わった。自覚ができた気がする)。
 昨夜、エクスプレス予約で東海道新幹線「ひかり」のチケットを入手したが、今日、東北新幹線の切符を購入したら、パソコン内の時刻表データが古くて、時間が狂った。それにより、昨夜確保したチケットとつながらなくなってしまった。で、急いで、またエクスプレス予約で変更をかけ、事なきを得た。やれやれ。
 今夜も9時まで仕事して、帰りに給油と洗車をし、10時半ころ帰宅した。
 今日こそ届くと思っていた初校ゲラは届いていなかった。時間があれば、原稿手直しの続きをするのだが、もうだめ。食事をして、入浴して、メールチェック、気まぐれ日記の更新で限界である。
 近所の桜は五分咲き。明日から4月である。

03年4月はここ

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